反核署名

反核署名

欧米での反核運動の高まりに呼応し、一九八〇年(昭和五五)、日本でも反核の署名や集会が大規模におこなわれた。三月の広島、五月の東京集会には各二〇万、四〇万の人が参加し、多数の反核署名が集められ、六月の国連軍縮総会には多くの市民代表が参加した。しかしこの運動は一過性のもので継続しなかった。二月には文学者も反核声明を発表して反響をよんだ。

反公害運動企

戦後経済復興とともに工業の発展は、工場からの大気汚染、水質汚濁、重金属汚染などの公害を発生させ、昭和三〇年代の高度成長からそれは急激に悪化し日本列島は公窓口の嵐が吹き荒れた。水質汚濁では一九五八年(昭和三三)の本州製紙江戸川工場に漁民乱入事件が起き、水質保全法の制定の動機となった。また、以後チッソ水俣工場の水銀廃水による水俣病発生、神通川へのカドミウム廃水によるイタイイタイ病、阿賀野川への昭和電工の水銀廃水などによる第三水俣病などが顕在化し、これに加えて大気汚染の四日市ぜんそくとともに四大公害裁判がはじまった。
いずれも基本的には被害者の勝利に終わったが、深刻な被害患者はその補償であがなうことはできなかった。そして判決はその教訓を今後の未然予防の重要きとして強調した。六七年には公害国会がひらかれ公害法令の多面的強化がおヲ」なわれた。一方、高度成長や列島改造のうねりは全国各地の巨大工業開発のブームとなって、広大な埋め立てや用地造成がつぎつぎにおこなわれた。たとえば北海道苫小牧東、青森県むつ小川原、福井県三国町、石川県七尾、鹿児島県志布志、長崎県上五島、福岡県白島などがそれである。
それらは大規模な自然破壊、景観の破壊などをもたらしたが、石油ショックなどで大半は工場誘致に失敗、地方財政などの赤字が深刻な問題になった。とくにむつ小川原では、二〇〇〇人の農民の土地を買収したときの費用などが一七〇〇億円の赤字になり、青森県は八五年この赤字対策のため核燃料サイクル基地にこの用地を売却したが、その安全性などをめぐって地元に対立が起きている。また石垣島ではサンゴ海域の付近に空港健設のための埋め立て計画を市がすすめているが、サンゴへの影響をめぐって反対住民との深刻な対立紛争が起きている。このように開発の対象となった各地では住民の反対運動が巻き起こったが、差し止め裁判などではかならずしもその訴えが実らず、住民運動も冬の時代を迎えている。

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